兜牛レポート
ページビューの合計
金融危機の歴史
何が隠されているんだろう
*
21/05/20
*
2008年10月24日:歴史的なクロス円の大暴落
***
2007年8月:BNPパリバショック
***
2001年9月11日:米国同時多発テロ事件
***
1998年10月:LTCM破綻危機
***
1998年:ロシア危機
*
*ソ連崩壊後、市場経済化を進めたロシアは、インフレと財政赤字に悩み、さらにアジア通貨危機の余波も受けて、1998年に国債価格が暴落。
この暴落で、国債での資金調達が難しくなった政府は、危機打開のためにルーブル切り下げや対外債務の支払い凍結を発表。政治は混乱し、通貨・株・債券のトリプル安になる「ロシア危機」が発生。
1997年:アジア通貨危機
*
*ドルペッグ制をとっていたタイバーツが市場の圧力でペッグ制を維持できなくなり、切り下げられて大暴落。その影響は、アジア各国に波及し、急激な資本流出が起り、通貨の切り下げや通貨制度の変更に追い込まれる「アジア通貨危機」へと発展。タイとインドネシアと韓国は、経済面で大きな打撃を受けた。
1995年:七夕介入
*
*4月に史上最高の1ドル=79円台をつけ、その後、行き過ぎた円高を阻止するために、7月7日に日米が協調介入を実施。同時に日本が利下げを実施。
この年は、円高が一気に進み、日銀の市場介入が積極的に行われた。
1994年:メキシコ通貨危機
*
*メキシコペソが大暴落。この影響は、中南米諸国やアジア、ヨーロッパの一部まで波及したが、米国とIMFが緊急融資を決定したことで、危機は終息。
1992年9月:欧州通貨危機
*
*経済通貨同盟(EMU)の先行き不透明感やドイツの高金利政策維持により、投機筋によって、ドイツマルクが買われる一方で、英ポンドやイタリアリラなどの弱い通貨が売られた。欧州為替相場メカニズム(ERM)は、5年9カ月ぶりに中心相場の再調整に追い込まれ、イギリスとイタリアがERMから離脱
1985年9月:プラザ合意
*
*プラザホテルに集まったG5の要人が「対㌦での自国通貨の切上げ」を政治的に決定。協調介入でドル安誘導を行ったところ、ドル/円は24時間で約20円下落、その後の約2年で、240円から120円まで円高が進行
1978年11月:カーター・ショック
*
*貿易収支の大幅な赤字進行やインフレ率の上昇などでドルが急落。協調介入の強化や公定歩合の引き上げなどドル防衛策を実施
1971年8月:ニクソン・ショック
金とドルの交換が停止。
1944年から続いたブレトンウッズ体制が崩壊。実質的なドルの切り下げ。「1ドル=360円」の体制を離脱。
FRBが決めていた金公定価格は1オンス35ドルだった
。
PPP
次の投稿
前の投稿
ホーム